スタッフのマネジメントというストレス     部下の胃腸症状に気をつけよう

 

                                                         2003年8月17日 更新

 

キーワード  胃腸症状 心身症


1.はじめに 

 

今では正社員が部下の正社員だけでなく、パート、派遣、契約社員という非正社員のマネジメントを行うというのが、当たり前になっています。つまり現代のスタッフは、かつての高度経済成長の時代とは違って、スタッフ本来の業務以外に非正社員の指導、点検や教育のような多彩な業務を一人でこなさなければなりません。これは一面では、人間の能力を多面的に発揮させるチャンスであると同時に、時によっては経験や能力以上の責任を背負うというリスクの面もちあわせているのです。これはまさにストレスというものが発病の引き金になりうるというマイナスの面と、人間的な成長をもたらすというプラスの面を持っていることの具体例です。

事例に示すように、管理職ではないスタッフの社員がマネージメント(勤怠管理などの労務管理、教育)の責任を負い、不幸にして、このストレスが心身症やうつ病の引き金*として作用した事例について紹介します。 

この小文の対象は、医師や産業保健職ですが、ビジネスパースンの方にもお読みいただきたいと思います。

*唯一ではないにしても、主なストレスの一つ

スタッフの多くは管理職とはちがって、マネジメントについての教育を受けていないのが現実です。係長以上の管理職は、ともするとこの現実を忘れてしまい、自分と同じような能力をスタッフに求めてしまいがちです。

打開策は、

@部下のマネージメント能力の限界を知り、スタッフのマネジメントに任せきりにしない

A本来の管理職として、部下をサポートしていくこと

となりましょうが、ビジネスパースンの皆様ご自身が、問題意識を持っていただくことが大切でしょう。

 

 

2.事例

 

事例1 28歳、男性。

2〜3年前からつづく吐き気と倦怠感、微熱で受診しました。小売り業の正社員です。通勤と仕事を含めての平均拘束時間は11時間。

業務内容;2年位前は4人でやっていた販売業務を2人でするようになりました。休日は月3〜4日あるものの全く不規則で、上司から指示されない限り休めません。たとえば2週間以上連続勤務したかと思えば、翌日休むよう突然命令されるというように、予定が全くたたないという厳しい勤務形態が3年以上続いていました。

お客さまを相手にするだけでなく、非正社員を労務管理する仕事もあり、これが結構な負担となっていたそうです。

症状に日内変動(午前中がよりつらい)があり、意欲の低下や焦燥感、などの精神症状もありうつ病と診断しました。吐き気は薬物療法と仕事上の負担への理解が深まるにつれ軽快し、休養により消失しました。甲状腺機能をふくめた生化学検査、胸部X線検査、腹部超音波検査、内視鏡検査などの異常はありませんでした。 

 

事例2 25歳、女性。

深夜に起こる上腹部の激痛で受診されました。消費者金融会社A社の正社員です。拘束時間は通勤時間を含めた14時間(通勤時間往復1時間)ほどです。およそ1年ほど前から3〜4ヶ月に一度、深夜に上腹部の激痛がおこるようになり、当院の時間外外来をすでに3回受診しており、そのたびに痛み止めの点滴をしたうえに、5〜6時間病院で休んでいくありさまでした。血液検査、超音波検査、内視鏡検査などに異常はありませんでした。

 

業務内容;接客や書類の審査、法務局へ登記簿謄本を取りに行く、などという通常の業務のほかに、同じ支店内の正社員の指導業務があります。この指導業務のほうがずっときつくて、接客のできない年下の正社員3名の指導にはとても苦労しているそうです。また中途採用で自分よりはるかに年上の男性社員を指導する責任もあり、与信供与にかかわる書類の書き方や会社のシステム上のノウハウを教えるのが大変といいます。「相手は以前の会社のやりかたで頭が凝り固まっているため理解に時間がかかるので、非常に気を使う」そうです。さらにストレスなのは同い年の支店長から、「明日から1週間ほかの支店まわって、中途採用の人を指導してこい」と、突然命令され、B市やC市などの支店をまわることです。

診断は消化器系の心身症(NUD)と思われました。

 

 

いずれの事例も医学的な特徴として以下の2点をみとめました。

@医者から指摘されるまで患者は長時間勤務や仕事のストレスを、ストレスと自覚しておらず、あたりまえの状況とみなしていたこと。したがって仕事上の悩みを、上司などと相談して解決しようとするような問題対処行動をとっていなかった

A病気の引き金がストレスであることの認識(気づき)がなされると、心気的(ノイローゼ的)傾向が改善し自覚症状の軽減がすすんだこと(特に事例1)。

 

3.考察

スタッフによるマネージメントという新しいストレス


ニつの事例の地位は非管理職の正社員で年齢は若く20歳代。

販売、接客という主な業務に加えて、パートをはじめとした非正社員や正社員(患者より年上の経験者を含む)に対して教育や指導をしています。

これが実は大きなこころの負担になっているのです。マネージメントを行うビジネスパースンは、その身分や地位にかかわらず業務を正しく遂行するために他のビジネスパースンの信頼を得ることが必要になります。マネージメントでは、業務の過程全体に対する正確な理解と適切な指示、および人格的信頼をも得るようなすぐれた精神的諸能力を必要とするので、業務で培われた経験以上のものが求められることが多いのです。

このストレスがさらに重いことの理由として、管理職には、そのポストに応じての裁量権が備わっているものの、スタッフには裁量権*が乏しいのです。たとえばマネジメントをする上での決裁権が少ないのです。

*もちろんスタッフに、パートやアルバイトの採用を決定する権限が委ねられている事業所は幾らでもありますが。

 

事例におけるマネージメントには次の特徴があり、

@若く経験の少ないビジネスパースンで、マネージメントという課題が個人の能力からみて過大になりがち1)な反面、上司(管理職)のサポートがほとんどなく、待遇面ではマネジメントに対する評価がない(無報酬)こと。

A年長者や経験者を指揮するという、社会通念に反した心理的特性から見てそぐわない状況にあること。

 こういう状況下では負担の重いストレスになってしまうのです。

身体における病気の発症の仕組みとして

@長時間勤務という古典的な負担に、スタッフなのにマネージメントという責任を負わされるストレスによる疲労が持続してワーキングパワ−の消耗をきたし

A適切に対応しきれない脳と胃腸という身体器官に大きな負担が生じ、

B消化器症状が前面に立つうつ病や心身症をひきおこしたと考えられましょう。

 

4.結論

1)医師がビジネスパースンのストレスの実態を知らないと危険

 医師は診察・検査の結果、癌や潰瘍のないことを確認するだけでは不十分で、誤診の恐れも生じます。もし医師が消化器系の症状に気をとられストレスという視点がなければ、いわゆるNUD(NON−ULCER DYSPEPSIA;機能性ディスペプシア* 直訳 潰瘍のない消化器症状)、俗にいう「神経性胃炎」などと診断するにとどまります。

 

*吐き気、胃の痛み、胃のもたれなどが続くのに検査をしても正常か、あったとしてもごく軽い胃炎程度という心身症。

 

しかしその本体はうつ病や心身症ですから、胃薬の処方に気休め程度の療養指導(気晴らしや趣味を持つことのすすめ)では症状の改善は望めません。その結果、患者さまは「重大な病気を見落とされた」と不安になり医療機関をかえることでしょう(症例1)。

これが繰り返されれば不安障害を合併したり、背景に存在するかもしれないうつ病が見逃されて、悪化(うつ病では最悪の場合、自殺)していくという危険が生じます。NUDの60%にはうつ病が合併しているという説2)もあるので注意が必要です。

 

NUDをみたらまずストレスとりわけこころの負担を確かめることが大切です。つまり医師に必要な診療手順として@ストレスや長時間労働が慢性の神経疲労を生じ、うつ病や不安障害などの精神科疾患、消化器系の心身症を引き起こすことを、医師自らが十分認識すること。次に、Aその患者に即して重大な器質的疾患(内臓の形にあらわれる病気)の有無を調べながらストレスの存在・程度を分析し、B必要に応じて休業などしてもらうことも大切です。

 

2)病気のなりたちの説明に関しては配慮が必要

 また逆にストレスが発病の原因であったとしても、医師が十分な検査もしないうちから、「仕事のストレスが原因です」などと一方的に指摘するにとどめるのも不本意な診療結果となります。人は症状の本体が「からだの外」(のストレス)にあると考えていれば医者になどかからないのです。

 

つまり「仕事のせいで病気になった」などとは考えず、「胃腸の調子が悪いので癌や潰瘍がないか調べてほしい。そしてなおしてほしい。」と思って受診するのです。必要な検査をしっかり実施しなければならないことは当然です。しかし重大な病気が無いとはっきりした段階では、「ストレスが病気の引き金」と明確に説明するだけでなく、患者さま自身がそれに気づくように療養指導することが大切です。

 

「仕事で胃がムカついたり、アタマがキレたり、気力がすりへって心身症やうつ病になることは今の日本では誰にでもありうるのです。」などのわかりやすい説明が必要です。症例1ではこれでも不充分でなかなか理解されませんでしたが、「病気になったら自分で自分の面倒をみなければなりませんよね」という筆者の意図せぬ発言が、患者自身のストレスへの認識を一気に進め症状のある程度の改善をみました。このストレスへの患者の認識(気付き)が共同作業としての治療への参加の第一歩であると同時に、その「気付き」自体が心の症状だけでなく身体の症状までも軽くします。心理学の分野でこのことは生理学的方法により確かめられており、「自己発見の瞬間に、身体の自律神経のはたらきを記録すると、からだがリラックスしている」3)のです。

 

ビジネスパースンは、「胃腸症状があって、それなりの精密検査をきちんと受けても良くならない場合、かなりのストレス、とりわけこころの負担をうけており、うつ病や心身症の場合もある」ということを知る必要がありましょう。うつ病にせよ心身症にせよ何の病気もそうですが、一般的に患者さま自身が病気の原因やきっかけを知ることが、治療をしていく上でとても大切です。うつ病や自殺が増えている現在、自分や部下の胃腸症状に注意し、その背後にうつ病や心身症がひそむ可能性を常に頭におく必要があります。

参考文献

 

1)千田忠男 編著:労働科学論入門.北大路書房、1997

2)野村総一郎  :内科医のためのうつ病診療.医学書院、1998

3)池見 陽   :心のメッセージを聴く.講談社現代新書、1995



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